october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

夏の戻り 37w5d

今週は何とか晴れ間が見える日があって嬉しい。ものすごく暑いけれども。安静が解けたので、地元をえっちらおっちらと歩いたり、大きめの公園に行ってみたり、妊婦体操に精を出したりしている。先週まではリトドリンをさぼるとすぐにお腹が張り張りして辛かったのに、今週に入ってからはほとんど張らなくなってしまった。どういうことだ。そんな妊婦の気はいざ知らず、中の人はとにかく元気でお腹はぶるんぶるんと七変化を繰り返す。膀胱のキャパシティがとんでもなく少なくなっていて、夜中はトイレに3、4回起きる。尿意を感じてからリミットに達するまでの時間もビックリするくらい短くて、冷や汗をかきまくりである。

今週もまた食事は節制中。結婚式前にやってたダイエットメニューみたいな食事をしている。刻んだキャベツをレンチンして納豆で食べる、冷凍オクラを豆腐に乗っける、ルクエで野菜としゃけの切り身を蒸したり、サラダをいっぱい食べたり、塩分少なめ・野菜多めのトマトスープ、あとは五穀米などなど。栄養バランスもそうだけど、腹八分で収めることも大事……とわかりつつ、あまり減らすと中の人にも良くないだろうなぁと思いながら、ほどほどに頑張っている。体重は今の所、横ばいだ。このままキープしたい。だが、お腹は大きくなっているようで先々週くらいには履けたマタニティジーンズが履けなくなっていた。何の為のマタニティー服だ〜とほほ。季節の変わり目、着れる服がドンドン無くなって行って今日は糸がほつれたサマーニットを着ていた。

日曜日に高校時代の友人が二人、それぞれ娘(二歳と六歳)を連れて遊びに来てくれたのだけど、二歳児のパワーがすご過ぎて、一気に六歳まで成長しないかなーって思ってしまった。笑 あと本当に早い所防音マットを買って敷かなければ……下の階の人に怒られてしまうなと思った。うちはDVD見る機材がないのでそれも用意したほうが良さそうだな。途中で飽きちゃった娘ちゃんたちにiPad miniのhuluでスポンジボブ・ザ・ムービーを見せていた。ごめんな……画面小さくて。

 

f:id:tpb_kotori:20160927103245j:plain

晴れたのでベビー布団やタオルの水通しをした。

 

妊婦健診 37w0d

とうとう正産期である。木曜が祝日だったせいか、病院は混んでいた。夫婦できている人も多かった。私も夫と行った。先週はNSTやら血液検査やら色々したが、今日(昨日だが)は内診と超音波だけ。体重は何とか微増。まだ全然正常範囲内だけど115/79と血圧が少し上がってきている。尿検査は全てマイナス、足の浮腫が+1。腹囲97cm、子宮底長35.5cm。貧血が出てしまったので再び鉄剤の処方。母子手帳には減塩食と体重に注意のスタンプ。自宅安静は解けて、これからはどんどん歩いてくださいと言われた。次は38週、その次の39週まで健診の予約を入れたけど、一体いつ産まれるんだろう。あんなにお腹を張り張りさせてた割には陣痛が来そうな兆候は全くなくて今も自由自在に暴れている中の人、現在2600gなり。

歩いてくださいと言われたので、街に繰り出してお気に入りの洋食屋さんでランチ。また一週間節制頑張るから、今日だけは許して欲しいという気持ち。今週は歩けるからまた違うかな。でも雨が降っていて鬱陶しいので、あまりモリモリと歩くことも出来ずにランチ後はまっすぐに帰宅。いつもより歩いたなーと思っていたら、着替えている最中に半端な格好で寝てしまった。体力落ち過ぎである。しかしやっと安静が解けたので両親学級で習った妊婦体操を再開。股関節を伸ばす体操と、妊婦腹筋(妊婦がやっても安全なやつ)をせっせと頑張る。出産準備は書類系も含めて、大体完了した。玄関に入院グッズを鞄に詰めて置いてある。

お金の話。23日が給料日だったので、産休前最後の給料(有休消化分の少しだけ)が入るかと思ったが入らなかったので確認したら、社会保険料は8月分が9月に引かれますとのこと。あと財形貯蓄をうっかり止めていなかったのでその分も合わせて、マイナスが生じているので請求書が届くので振り込んでくださいと言われた。四捨五入したら10万になる額で肝が冷える。ちゃんと確認しなかった自分が悪いのだけどガビーンである。あと住民税のこともすっかり忘れていてそれも毎月会社に送金しなきゃいけない。やりくり的に想定外だったので少し困って、しょんぼりしてしまったのだが、その後、貰えるお金に付いても勘違いしていたことに気付いて、結局何とかなりそうな雰囲気。ボンヤリしすぎていた。働きながら出産すると貰えるお金に「出産一時金」「出産手当金」「育児休業給付金」があるのだけど、「出産手当金」を他の2つと混合していた。簡単に分類するとこんな感じだった。

  • 出産一時金 → 健保から貰える分娩費用の補助。誰でも貰える。一律42万円(2016年9月)
  • 出産手当金 → 健保から貰える産前産後休暇(無給)中の給与補助。産後に休んだ分の給料の2/3が貰える。
  • 育児休業給付金 → 雇用保険から貰える育児休暇(無給)中の給与補助。大体月給の半額が貰える。

他にも会社からの出産祝い金とかあるのかな。会社によるけど。あとは医療費控除か。確定申告しなければ。

というわけで、ベビーグッズ買いまくってしまってどうしよう……と少し青くなったけど何とか家計は回せそうである。他に個人のランニングコストで痛いのは生命保険なんだけど、これは弟が担当営業なので何とかしてもらえそう。やれやれ。今年の早い時点で携帯をMVNOにしておいて良かったなぁと思った。ちなみにうちは今までは生活費+光熱費+共通貯金が私担当、家賃(現在は住宅ローン)が夫担当で、その他個人のランニングコスト(携帯、保険、など)は各自負担していた。互いの収入はざっくりは知っているが、細かくは把握していない。二人とも細かい家計管理とか家計簿とか不可能な性分だからこんな雑なんだけど、他の共働き家庭ってどうやってるんだろ。妻が産休育休に入ったらどうやって回してるのかも気になる。

 

f:id:tpb_kotori:20160917195839j:plain

節制ごはん。おかずは2人分ですよ。

雨続き

ずっと天気がぱっとしないので、気持ちも何となくふさぎ込んでいる。iPhoneの天気予報を見ていても、ずーっと雨・雨・雨の予報ばかり。まだベビー布団に水通しできていないのに。早く綺麗な秋晴れにならないかな。去年の8月後半〜9月も東京ではずっとこんな天気が続いていたように思う。9月の2週目に北海道旅行に出かけたら向こうは綺麗に晴れていて、雨雲から脱出できて心が晴れ晴れしたのをとてもよく覚えてる。本当は毎年秋の(と言っても夏休みの)旅行は海外に行ってたんだけど、去年は妊活していたから何かあった時にキャンセルしやすいように国内だったのだ。(その代わり10月末に友だちと弾丸で台湾に行った)次に海外旅行に行けるのはいつになるのかなぁ。国内でも全然いいから、旅行に行きたいなぁ。と、家の中で妄想だけ膨らませている。最後に行った旅行は、5ヶ月の時の長野旅行。THE YELLOW MONKEYの長野ライブに夫と一緒に遠征した。あれは行けて本当に良かったな。今はCoccoが新アルバム「アダンバレエ」のツアー中で、まるっと臨月に被ってるのでもちろん行けないんだけど、本当に久しぶりのツアーでめちゃくちゃ行きたかったから、諦めてるけど諦められずに、それもあって心は雨続き。でも麻疹も怖いし、仕方ない仕方ない。って自分で自分に言い聞かせるのはいいけど、「仕方ないでしょ」って人に言われると腹が立つのだ。そういうことってあるよね。

Twitterのタイムラインをぼんやり眺めているとみんな色んな所に行っていて羨ましいなーって純粋に思ってしまって、まあそれどころじゃないってのはわかってるんだけど、そう思ってしまうのは止められないのであった。無い物ねだり。せめて誰か遊びにきてくれないかな、と思うけど、臨月なのでそれもなかなか難しいか。

 

f:id:tpb_kotori:20150910095519j:plain

去年の北海道旅行。美瑛は綺麗に晴れていた。

妊娠初期の記録

妊娠発覚した時の話と、初期の体の変化についての記録。割と生々しい話もしているのでご注意。

1月後半、妊娠発覚する一週間前より日中猛烈な眠気に襲われていた。それまでも仕事中、昼食後の14時くらいに猛烈に眠くなるなんてことはあったけど、例えばデスクの引き出しから何かを取り出そうとして開けたまま数分意識を失っているだとか、そういう意味不明の眠気は無かったのでビックリした。昼休みに昼寝をすることで何とか凌いでいたけど、冬だからなのか、それとも年だからかな?と思っていた。それと突然便秘したのも、おかしいなと少し思っていた。もう十年くらいラブレを飲んでいて便秘知らずだったのである。

1月の最後の月曜日の夜、風呂で血が出た。「あー生理きちゃった」と普通に思って、その週は普通に酒をガンガン飲んでしまった。夫の誕生日で海鮮の美味しい店でガッツリうにいくらを堪能したし、金曜日は友だちと馬刺食べに行って芋焼酎も飲んだ。ただその日の帰り道、飲んだ量にしては具合が悪くなって途中で電車降りてタクシー帰りをした。その時も二十代ならこんなの余裕だったのに、やっぱもう年だわ……と思っていた。

翌土曜日、私は近所の駅にある有料自習室で趣味の文章を書いていた。そしてその最中に突然ふと「月曜の夜に出血したっきり、生理きてなくない?」と気付いたのであった。遅い……と言えば遅いのだが、三十超えたら生理がスロースターターになって最初の数日はあまり出血しなくて、後半に本格的に始まる(全体が終わるまで9〜10日前後)という状態になっていたので、今回もそれだと思っていたのだ。確認の為にトイレに行ったけどやっぱり出血していない。どうなんだ。何なんだ。とモヤモヤしながらもその日のノルマを書き上げて、駅に戻ったのは夕方の16時頃。夜には両親と夫と飲みに行く予定が入っていたので、その前に白黒付けなければと、駅前の薬局で検査薬を買い駅ビルのトイレで確認したところ、陽性反応が出た。2016年2月6日のことである。

2015年の夏前くらいから妊活をしていて、期待して検査しては陰性というのを繰り返していたので、最初に思ったのは「陽性ってほんとに出るんだな」ということであった。しかし一気に陽性だ!こんにちは赤ちゃん!ハッピー!ヤッピー!という気分にならなかったのは、化学流産のこと、初期流産率の高さ、流産してしまった友だちや同僚の話、子宮外妊娠のことなどがざっと頭をよぎり「喜ぶにはまだ早いのだ」という、心配性俺にマウントを完全に取られたからである。ともかく、夫にだけは告げようと想い早めに待ち合わせの店に来てもらった。そしてとりあえず「喜びすぎないこと」と「どっちの親にもまだ言わないこと」それはそれとして「嬉しいね」という気持ちを確認したのだった。なお、この晩はもちろん酒は飲まなかったのだが、勘のいい母は何だか怪しいと思っていたらしい。

週が明けて月曜日の朝にかかりつけのクリニックに行ったが、まだ胎嚢の確認が出来なかった。それどころか、検査試薬でも上手く陽性が出なかった。先生は「自己チェックで出たなら間違いないでしょう」と言ってくれたんだけど、不安になって一気にしょんぼりしてしまった。やはりぬか喜びだったのか……?いやしかしまだ生理は来ていないし……。と、もやもや。計算してもらったところ、その次点で4週3日、予定日は10月14日と言われた。2月の頭に10月はあまりに遠くて現実感が無かった。胎嚢が子宮内に確認できたのはその翌週の月曜日。やっと最初のステージクリアだ!と、安心したのと、どうかそこにしがみついててくれと願うばかりであった。そして今更だが1月末の月曜日の出血は、着床出血だったみたい。2016年2月は、ここ20年くらいで最も時間の進みが遅い日々だった。胎嚢が確認できてから直属の上司には打ち明けた。

体調について。結論から言うと胃腸系にくるつわりは全くなかった。いつくるか、いつくるかと妊娠5週まではひやひやしていたが、6週後半ぐらいから「これはもしかしたらこないのでは……?」と思い始める。突然来た時の為に枕元に洗面器を置いてみたが、埃が溜まって行くだけであった。重いか軽いかは置いておいてつわりは来るものだろうと思っていたので(こない人がいるのは知っていたが、まさか自分がそっち側だとは思ってなかった)妊娠発覚から割と好きなものばかり食べまくってたんだけど(いつ食べられなくなるかわからないと思ったので)、流石に7週に入った次点で止めた。同僚の経験者はつわりが重い人が多かったので後々打ち明けると「そんな人本当にいるんだ!」と驚かれた。私もビックリだよ。つわりがこなかったので2月3月に予定していた遊びは遠征以外は大体行けたし、約束していた文章は全て書くことが出来た。これは運が良かったと思う。

ただつわりがなかったとは言え、妊娠前とは体調は全く違っていた。吐き気はなかったが、怠さと眠気、そして気持ちのアップダウンが本当にすごかった。元々PMSの時は気分の乱高下が激しいタイプなのだけど、それの更に激しい+終わりの見えないバージョン。妊娠は一分後にはどうなっているかわからないし、話を聞いてくれる人は夫しか居ないし、友だちにも言えないし、この先自分がどうなるのかとか、好きなものをどれだけ諦めなきゃいけないのかとか、そのへんの心の整理の付け方だとか、付けたら付けたで妊娠がダメになってしまったらどうしようだとか、もう本当にめちゃくちゃなんだけど、とにかくイライラしていてモヤモヤが続いた。全妊娠期間を通じてもこの頃の精神状態が一番キツかった。Twitterアカウントを消してしまうくらい辛かった。心拍が確認できてから信頼できる同僚(先輩ママ)や、ごく一部の友人に打ち明けてから少し楽になった。

妊娠初期は体温が上がるので常に微熱っぽくて、怠くて、疲れやすかった。妊娠は職場では上司と一部の同僚以外にはまだ言っていなかったけれど、集中力が全く持たなくていつも16時くらいになると頭が働かなくなって何も出来なくなってしまう。仕方がないので引き出し片付けたり、書類断捨離したりと、そういうことをして凌いでいた。

妊娠三ヶ月後半になると、少しずつ妊娠という状態にも慣れてきて、気持ちのアップダウンも落ち着いてきた。12週を過ぎれば流産の確率はガクンと下がる。4月1日がその日だったので、まさに春を待ちわびていた感じだった。

 

桜が咲く頃にやっと気持ちが安定した。