october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

骨嚢腫

結論から言うと、手の骨の空洞は骨嚢腫というものだった。良性というか水が溜まっているだけみたいで、大きくなってきたり、痛みが出てきたりしたら治療が必要だけど、しばらくは経過観察でいいとのこと。半年後のレントゲンの予約をした。

大学病院はとにかく大きくて、検査もたくさんあって、色んなところで待たされ時間を取られて、午前休では終わらなかった。最初に問診、それから検査で、血液検査は見たことが無い本数取られた。あとは両手のレントゲンと、CTスキャン。それを終えたら、検査結果が出るまで昼ごはん食べてきて!と言われて、外のファミレスでしょもしょもしながらパンケーキを半分食べた。しょもしょもした理由は、午後の診察はいつごろ終わりますか?と聞いたら「検査結果によっては追加検査で細胞診をするので、なんとも言えないです」と言われたからで、細胞診なんて聞くだけで怖いし、そもそも骨の中にあるんだから、その細胞を取るためにはそこまで針を刺すんだよね!?と思ったら震えた。チキンですまない。

そんなこんなで昼を食べたというよりただひたすら不安な気持ちで時間をつぶして病院に戻り、いざ診察を受けてみたら、対応してくれた先生は最初の問診の先生とは別で、当番表みたいなのを見たらどうやら教授のようで、テキパキしている感じだけど優しいおじさんで、CTの画像やレントゲン、MRIの画像を見ながら私の手の骨を揉んだり、どこが痛いか細かく聞きながらも「これは心配する必要があるものじゃないから大丈夫ですよ~」と言ってくれた。それで一気に楽になった。おそらく昔どこかで右手をついた時の衝撃で小さなひびが入ったところに、だんだんと水が溜まっていったのだと思います、と。確かに先生が「ここが痛いでしょう?」と押されると、左手とは違って痛みがあった。でも押されなければ痛くないし、押されても激痛というほどではなく、なので経過観察で終了だった。8時半に病院に入って、終わったのは13時すぎで、本当は13時から仕事をしていなきゃいけなかったんだけど、まあそれはいいや。何ともなかったので結果オーライ。ここ二週間のモヤモヤした不安よ、霙降る寒空に溶けてお行き。さようなら。しかしまあ色々気疲れしたのとなんとも無かった祝いで、ゴディバのホットショコリキサーを飲んでから会社に向かった。電車の中で調べたらその先生は骨の腫瘍の専門科だった。そんな先生がそう言ってくれるなら一安心だ。よかった。

最初に診察してくれた地元の整形外科の先生に対しては若干不信感が募っていて、もうあそこには行きたくないと思っている。なので、今後は大学病院で経過観察をしてくれるもの、安心した。地元の先生は、質問しても曖昧なことしか言ってくれないのに、何故かその後不安を煽るようなことばかり言うし、中途半端に暗い気持ちにさせられたし、何より私が訴えていないことまで紹介状に書かれていたのが、ものすごく嫌だった。そんなこと言ってないよ〜。しょんもり。でも何ともなかったんだし、あの先生のことは、もう忘れよう。うん。あと合コンで会った先生はいなかったよ。むしろ別の大学病院だったのかもしれないな?とか、記憶が曖昧すぎる感じ。笑

最近の娘は園でも家でもマイペースでのびのび自由にやっている。ちょこまかちょこまか走り回る。ごはんをめちゃくちゃ良く食べる。パントのまねをして風船で「飛ばされる~~!!」ってやると、「はわわわわ」という顔でぎゅって抱きついてきて、母の心をメロメロにしている。とても良く笑うんだけど、自分がげらげら笑っている動画を見るのが大好き。発語はまだあんまりないのだけど、こっちが言ってることはよくわかっているようだ。大人の真似もよくしている。今朝は「まんま!まんま!」と言いながら、キリンのソフィーに自分の食べ残しのパンケーキを食べさせようとしていた。お気に入りのおかずはバターコーンで、コーンをむしゃむしゃと無心で食べている時は、完全に無視される。

娘がずりばいを始める前、この子がいつか自分で動いたり、立ったり、歩いたりするのはどんな感じなんだろう、想像できないなぁ……と思っていた。そして今すったかちょこまか走り回り動き回る娘を追いかけ回しながら、動かなかった時期のことが想像がつかない。だからきっとおしゃべりを始めたら、今あまり言葉を発さず、だけど一生懸命自己主張をしている姿のことを、忘れてしまうんだろうなって思う。なかなか難しいことだけどできるだけ今の姿も焼き付けておきたいし、大切にしたい。

f:id:tpb_kotori:20180224215828p:plain

もうすぐ娘の二回目の春がやってくる!

色んなことを考える

右手の親指の付け根の骨の中に空洞があり、腫瘍のようなものが出来ている可能性があるらしい。最初に指摘されたのは11月の終わり頃のこと。抱っこのしすぎによる手首の痛みが酷かったので湿布を貰うついでに見てもらおうと整形外科でレントゲンを撮ったら、何かがある可能性がありますと。その時は半年後にもう一度レントゲンをと言われたのだけど、妊活していることを告げると、じゃあ三カ月後にしておきましょうということになり、そして先週、これまた抱っこのしすぎにより腰の痛みが激しくなったので診てもらうついでにもう一度右手のレントゲンを撮ると、やっぱり何かありますね、と。大きくなってないし、また半年後にチェックでもいいよと言われたけど、先生があまりにも「あるなぁ、確かにあるなぁ」とレントゲンを見ながら繰り返すものだから不安になり、進められるまま外部のMRI専門クリニック(診察はしないで撮るだけの所)に撮りにいった。その結果を見て先生は「あるなぁ、確かにあるなぁ、良いものだか悪いものだかはっきりさせるには一度大学病院で見てもらってください」と。っていうかさー、どうせそうなるなら最初から大学病院でMRIも纏めて撮ってもらうようにすればよかったのでは?と若干解せない。とりあえず今はその状態で、来週紹介状を貰って、その後行けるタイミングで某医大の整形外科に行くことに。

正直、全くなんにも自覚症状が無かったので、其処に何かあると言われても現実味がないのだけど、悪いものなのかもしれない、と思い出したら痛むような気がしてくるから不思議なものだ。例えこれが悪いものだったとしても、まだ小さいし、三カ月前と比較して大きくなったりもしていないし、(まあ多分)いきなり死ぬわけではないのだけど、やっぱり色々と悪いことを考えてしまって、悲しい気持ちになったりしょんもりしたりを繰り返している。調べてみると大人がかかる骨の悪性腫瘍はほとんどが転移性のもので、それ以外は良性腫瘍がほとんどなわけだから、今私が他のがんに掛かってるとかじゃなければこいつは腫瘍だとしてもまあまず良性なんだけど、それでもモヤモヤした不安は晴れない。まー、とはいえ健康診断だって受けてるし乳がん子宮頸癌の検査も甲状腺エコーも一年以内にしているし胃腸の調子も良いし便秘知らずだし何より体重が全然減ってないのに転移するほどどこかのがんが進行しているとは思えない。

これから先、年を取るに連れてこういうことはどんどん増えるんだろうなと思う。健康診断でひっかかることだって増えてくるだろうし、祖母も大叔母も乳がんをしているし、今回が違うとしたってがんにかかる可能性だって普通にあるだろう。どうしても考えてしまうのは娘のことで、やっぱり子を残して逝かなければいけない無念のことは想像するだけで、もうどうしようもなく、たまらないほどの辛さを感じる。ママがおばけになっちゃった!じゃねーよー!おばけになりたくない!それでも子に先に逝かれるよりは……と想うけど、やっぱりどっちにしたって別離は辛いしできるだけ考えたくないし怖い。友だちの妹で子がまだ1歳になる前にがんを発症した子がいて、今は寛解して元気にやっているのだけど、その時の恐怖やそれを乗り越える強さのことを思うと、本当に、もう本当にすごいな頑張ったな偉いなって思う。当事者の痛みや辛さ恐怖を、本当の意味で理解出来る筈も無いし、ただ想像しているだけの自分がしょもしょもしちゃいけないなと思う。あともしこれが悪いものだったとしたら、娘を抱っこして手が痛くなってなければ医者に行かなかったわけだし、そしたら発覚しなかったわけだし、娘に感謝しかない。まあでも多分心配するだけしといて、大したものじゃありませんでしたという結論になるんだろう。と、願っている。あと心配しすぎるのをとりあえず止めよう。

ついでに言うと、ものすっごいどうでもいいことなんだけど、今度行くその某医大の整形外科のお医者さんと十年近く前に合コンしたことがあるので、その時に会った人と会いませんようにと心から思う。(まず間違いなくこっちのことは覚えていないだろうけど、色々な意味であまりにインパクトが強い人だったのでこっちは忘れられないのだった……)しょうもないオチを付けた所でこのエントリーは終わる。

ピタゴラスイッチと最近の娘

Eテレがあって本当によかった。最近毎日思っているし、思ったことが無い子育て中の親なんているのか?と思う。(まあテレビ見せない方針のおうちとか、色々あるからいるだろうけども)テレビ体操で一日をはじめ日本語と英語で遊んでからの0655で和んでシャキーン!からのデザインあピタゴラってからコレナンデ商会あたりで家を出る。保育園でお迎えしてから帰宅してクックルンオトッペを流しながら離乳食を作り、テレビを消して食べ終わったら、娘が大好きなおかあさんといっしょといないいないばあの録画を一緒に見る、ようなEテレルーティーンが出来上がっている。

もともとテレビを見るのはそこまで好きじゃない。ドラマも嫌いなわけじゃないんだけど毎週同じ時間にテレビの前に座るという習慣が無くて見逃してしまうことがほとんどだったし、朝の情報番組以外で定期的に見ている番組は無かった。あと誰かを集中して叩いてるニュースが遍く苦手なので、どのチャンネルでもそれ一辺倒になる時はテレビを消していたし、芸能人が勝手な憶測でニュースや社会問題について喋っているのも苦手、あと同じような再現VTRを何度も見せられるのも嫌だし……って感じで目的の番組を見る時以外は、適当につけたりつけなかったりだったんだけど(夫はわりとよく見ている)何がすごいかって、Eテレを付けっぱなしにしておくとそう言ったストレスから自由になるのだ。朝から晩まで、心が穏やかになる。和んで、それでいてウィットに富んだ大人向けのコンテンツもけっこうあって、節々がセンスの塊だし、誰かを攻撃したりすることはゼロだし、それでいてけっこうエモい内容も多くて、まあ何が言いたいかと言うとEテレは思ってた以上に神だったということなんです。

おかあさんといっしょ、いないないばあ、みいつけたが大好きなのはもちろんとして、それ以外で親子じじばばみんなお気に入りなのがピタゴラスイッチである。平日は毎日ミニ版で5分、土曜日に15分の尺でやっている。基本のピタゴラ装置のコーナー以外にも、小さなコーナーがたくさんあって毎日それが入れ替わり構成されている。そして土曜日の15分で、その小さなコーナーのを一つピックアップして特集していたり、ピタゴラ装置の特集だったり、あるいは音楽の特集だったり、まあつまりなんやかんやの特集である。毎日のも楽しみだけど、15分で色々見れて土曜日のはお得感が強い。娘の一番のお気に入りは一番基本のピタゴラ装置なのだけど、それ以外にピタゴラ暗号棒、お父さんスイッチ、こんなことできませんのコーナーなどをかなり熱心に見ている。ピタゴラ装置を見ている時はものすごい集中してピタッと止まってくれるので、風呂上りはだいたいピタゴラスイッチにしていつも嫌がる顔の保湿やらなんやらを片付けてしまう。何をやっても泣きやまない夜泣きの時も、ピタゴラスイッチを見せると泣き止んで落ち着く。ピタゴラスイッチさまさまである。

ピタゴラ装置を見ていて思うのは、よくもまあこんな仕掛けを考えるな!ってことと、つなげ方がすごいな!ってことと、器用だな!ってことなんだけど、勝手な想像だけどこれってもしかしたら担当しているのは別々の人なのかもしれない。もちろん一人の人が全部やっちゃうこともあるんだろうけど、そんなのはピタゴラ装置を作るために生まれた天才のすることで、実際は一つ一つの装置を考えるのがうまい人、それをつなげてひとつの大きな流れを作るのがうまい人、セッティングが神がかってる人、ピタゴラ映像を撮るのがうまい人、音楽を合わせるのがうまい人、など色々いそう。私は小説を書くのが好きで、それを一生の趣味にしているけれど、小説も長編だと「細かいひとつひとつのエピソードを作ること」「それを全体を通して構成し、大きな流れを作ること」「文章を丁寧に書いて物語を実際に作っていくこと」は使ってる脳みその部分が違っている気がしているし、スキルとしても別のものだと感じている。そういう意味で、ピタゴラ装置と小説って、似てるなぁって勝手に思っている。

ピタゴラ装置とストーリーの関係について特に考えるようになったのは「ビーだまビーすけ」シリーズを見てから。知らない人のために説明すると、ビーだまビーすけシリーズとは、超絶大人気のピタゴラスイッチのコーナーで、ビーだまの三兄弟(ビーた・ビーすけ・ビーごろう)がいて第一話(ビーだま・ビーすけの大冒険)では、ビーたとビーごろうが敵に捕らわれてそれをビーすけが助けに行くストーリー。第二話(ビーだま兄弟の大冒険)では、ビーすけが第一話の復讐?で敵の黒玉に捕らわれてそれをビーたとビーごろうが助けに行くストーリーになっている。見たこと無い人は何を言っているのかよくわからないと思うが、大規模のピタゴラ装置に物語の歌がつくことで本当にビーすけが冒険しているように見えるから面白い。ピタゴラ装置なんだからハラハラする必要は無いはずなのに、ビーすけが敵の陣地で黒だまに見つかって追われるところとか、三人(人?)で大ジャンプするところとか、ビーたとビーごろうが「怖いな」「大丈夫」って言い合いながら交互に進んでいるところとか、本当に手に汗を握るのである。今までの人生でビー玉に感情移入したことある?!すごいよ!ビーだまビーすけの大冒険を見ていると、プレゼンテーションって物語を伝える肝の一つだなって強く思う。本当に優れたプレゼンテーションは、受け取り手の中に物語の実体を残すのだ。Office風に言うなら、相手の書式に合わせてペースト。12月23日の朝にビーだまビーすけシリーズの特集をやるみたいなので、見てない人にはお勧めしたい。あと1月1日の大人のピタゴラスイッチも今からめちゃくちゃ楽しみにしている。むしろ一番楽しみな正月番組だ。

大昔の話になるけれど学生時代、ピタゴラスイッチを監修している佐藤雅彦氏の授業を受講していたことがある。第一回目の授業の冒頭、リスのすばやい動きにミッションインポシブルの音楽がぴったり合っている面白い動画が紹介されて、大講義室では至る所で笑い声が上がっていたのだけど、佐藤雅彦先生は「これを見てただ笑っていてはいけません。どうしてこれが面白いのか、考える側にならなければいけない」と言うことを仰っていた。私はけっこう素直で単純なところがあるので、多分それから何かを見たり読んだり聞いたりする度に、それに嵌れば嵌るほど、面白要素を分解して色々あれこれ考える癖が付いたように思う。 だから何だってわけじゃないんだけど、ピタゴラスイッチを見ながら、そんなことをいつも考えている。

 

最近の娘のことも少し。10月後半から歩ける歩数が増えてきて、11月に入ってからは、もうずっと歩き回っている。お外で靴デビューもして、公園で落ち葉をざくざく踏んだり、いっちょまえに木の棒を拾って振り回したり、どんぐりを食べようとして母に大慌てで止められたり、知らないお姉ちゃんのシャボン玉を追いかけてうっとうしがられたり、また別の知らないお姉ちゃんに「はいっ!はいっ!」と小石を渡そうとして困惑されたりしている(ありがとうって受け取ってくれた、やさしい女の子でした)。すべりだいで大喜びするので、夫が抱っこで上まで連れて行って、下で私がキャッチする方法ですべらせている。抱っこで乗るブランコも楽しそう。当然かもしれないけれど、歩けるようになってから外遊びのバリエーションがとても増えた。

保育園でも楽しそうにしている。連絡帳によると、園庭で年長さんが体操をしている列に勝手に混じって一緒に体操をしたり、何故か講師の先生側に立って一緒にお手本を見よう見まねでやってみせたりしているらしい。あとは、年中さんのおままごとに混じっておなべをゆすったりしているらしい。そんな光景、見たくて見たくて堪らない。春生まれのお友達はもう言葉が色々出ていて、娘の名前をたくさん呼んでくれていたりする。

11月の終わりごろRSウィルスに罹患した。RSは大人だと普通の風邪だけど、小さい子が罹ると気管支炎や肺炎を発症しやすいので注意が必要な激しい風邪である。ワクチンはない(※正確には毎月打つシナジスという注射があるが、これは早産で生まれた子や基礎疾患がある子にしか保険適用にならないので娘は使えない)。そしてRSは何度も罹る。去年、生後1ヶ月でかかりその時は一週間も入院もしたのだが(幸い悪化することはなかったが、付き添い入院だったので大変だった)、今回は2回目なので症状も軽く、熱も1日半で下がった。風邪で可哀想だからといつもは適当に作ってしまう離乳食も、ちょっと時間をかけて根菜を出汁でゆっくり煮込んだしらす入り味噌雑炊などを作ってみたところ、こども茶碗二杯もりもり食べた。元気だった。木曜日に発症して、金夜には熱は下がっていたが、土日は家でゆっくり過ごした。本人はぜんぜんゆっくりしたい気持ちなどなかったのだろう、遊びたい心をもてあましていた感じがある。積み木で遊んだり、絵本を読んだりたくさんしたけど、それで1日は持たない。冒頭に戻るけど、Eテレがあって本当によかった。

 

f:id:tpb_kotori:20171123194853j:plain

クリスマスの準備は万端

1歳の誕生日のこと

先週末は娘の誕生日だった。朝起きて、雨。当初予定されていた保育園の運動会は雨天延期になったので、せっせとお出かけの準備。どこへ? もちろん小児科である。1歳から打てるのはMR(麻疹・風疹)、水痘、そしてムンプス(おたふくかぜ)ワクチン。更に追加接種でヒブと肺炎球菌もある。どこまで同時接種で行くか決め切れなかったのでとりあえず全部予診票を記入して、小児科に並ぶ(うちのかかりつけは、予防接種の予約は不要)。まず先生から、1歳から追加になる3ワクチンの説明を受ける。一番気になった副作用はおたふく風邪ワクチンの無菌性髄膜炎(1万件に1件の割合)かな……これは出るとしたら13日後くらいらしい。発熱、嘔吐などに気をつける。怖いといえば怖いが、無菌性髄膜炎は重い後遺症が残ることはないというし、おたふく風邪による難聴の後遺症のほうがずっと怖いから、任意接種でもワクチンは絶対に打つと決めていた。実際、今年近所の小学校で流行があり、ワクチンを打っていなかった子で難聴になってしまった子がいると聞いた。水痘ワクチンは弱いので打っても掛かることはあるけど、発疹の量はかなり減るとのこと。水疱瘡、痕残っちゃうのは嫌なので、これは重要なポイントだと思う。麻疹はとても怖いので、MRワクチン受けれるのも「やっとだ!」という気持ち。
 
同時接種に関して。まず、追加接種分も含めて全部一度に打つのは可能だけど、翌日運動会なので肺炎球菌(プレベナー)はやめましょう、とのこと。副作用で当日夜の発熱があるらしい(20人に1人の確率、結構高い)。そして先生は分けるなら生ワクチン3本先がいいのでは?とのこと。私も分割するなら当初そのパターンで考えていたんだけど、ネットで1歳の同時接種のパターンとメリットデメリットを調べてた時に、不活化ワクチン後回しにするとヒブ髄膜炎罹患率が上昇するという記載を見て少し気になっていたので(ヒブ髄膜炎はとてもこわい)質問したら、それは大丈夫だと思いますよ、とのこと。すでにワクチン3回受けているので罹患することはないでしょう、でも気になるならこうわけましょうか、ということで、以下のパターンに。
 
今日:MR、水痘、おたふく(任意)、ヒブ追加(4回目)
1ヶ月後:インフル1回目、日本脳炎追加(2回目)
その1週間後:インフル2回目、肺炎球菌追加(4回目)
春ごろ:水痘追加(2回目)、4種混合追加(4回目)
 
分割したと言っても、注射4本も決して少なくはない。大人でも嫌だ。可哀想だけど、病気をすることのほうが何千倍も可哀想なので我慢がまん。1本目は何とか耐えたけど、2本目からはおぎゃんおぎゃんとパワフルに泣いていた。終わった後に鼻水まで吸われた。本当にお疲れさま。
 
お誕生日当日は注射以外はおうちでのんびりすごしたのでスペシャル感は薄かった。私は部屋の飾りつけなどをぽちぽちした。ソファを移動したので、娘はなんだなんだ??という顔をしていた。翌日は運動会。そしてもともと予定していたお誕生日会。(運動会とずらしてこの日にしたのに、雨のせいで結局同日になってしまった)保育園の運動会は、果たして0歳児クラスで何ができるのだ?と思ったのだけど、けっこう面白かった。ハイハイレース+押し車レースみたいな感じ。レースじゃないんだけど。笑 そして娘は思いのほかがんばってニコニコ顔で押し車を押して、観衆から拍手されて嬉しそうにしていた。けっこう大物なのかも?
 
お誕生会は部屋を飾り付けて写真を撮った。娘は見慣れた部屋が「いつもと違う」ことはわかるらしく、珍しそうにきょろきょろしたり、抱っこすると天井からぶらさげた風船を触ろうと手を伸ばしたりしていた。それから両祖父母と両親や知人からのプレゼントを開封してあげた。まだケーキが食べられない娘に、小さなホットケーキ(卵抜き)を三枚重ねたケーキを作った。今の季節は苺が売ってないので、大人用ケーキからひとつ拝借。あとは違うフルーツを回りに散りばめた。ケーキの間に挟んでいるのはベビーダノン。ろうそくに火をつけてハッピーバースデーを歌うと「え?わたし?わたしなの?」ときょろきょろした後、まんざらでもないような、照れたようなはにかみ笑いを見せてくれた。ふーっ、はもちろんできないので、私が吹き消した。ケーキも美味しそうに食べてくれた。
 
プレゼントの中で目立っていたのは義父から貰ったミニーちゃんの車である。義母からはファーストシューズ(先月の帰省時に一緒に買ってもらった)と、お洋服。私の両親からはそれぞれおもちゃ(知育積み木と、アンパンマンの音楽のやつ)、それとお洋服。私と夫からはワニがカタカタする引っ張るおもちゃ。突然おもちゃが増えて、娘のテンションのあがり方たるや、ものすごかった。お昼寝タイムになっても「寝ない!遊ぶ!」とでも言いたげに布団の中で大騒ぎ。私が(大人用の)パーティーごはんを作っている間、夫が1時間近くかけて寝かしつけた。
 
プレゼントとは別に娘に手紙を書いた。これから毎年、二十歳までお誕生日には手紙を書こうと思う。思春期になったらあまりまじめに読んでくれない気もするので、それくらいになったら毎年ひとつずつおかあさんの秘密を暴露する作戦を取ろう……など、考えていくとなかなか楽しい。今回の手紙は、字を覚えたらすぐ読めるように、とりあえず全部ひらがなで書いておいた。「おかあさんより」としたけれど、娘が私をなんて呼ぶかはまだ確定してないんだよなぁと思うと、なんとなくむずかゆいような不思議な気持ちになる。手紙のことを夫に話したら「このあいだ飛行機でそういう映画見た。宮崎あおいが出てた」と言ってたので「まさか、母が死ぬのでは?」と言ったら「そう」とのこと。絵本にしろなんにしろ母が死ぬ作品が多すぎる気がする昨今である。
 
娘が寝た後、親一周年お疲れ会をやった。親になって自分がどう変わったのかはよくわかっていない。だけど毎日それなりに忙しく、大変なことはあれども娘は本当におもしろかわいいので、夫と娘には感謝している。

 

f:id:tpb_kotori:20171008112735j:plain

 

f:id:tpb_kotori:20171013082716j:plain