october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

テンションと文章

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日常の中でいろんな文章を書く。
 

仕事のメール、メッセンジャー
友達とのメール、家族とのメール、
友達への手紙、サイトのブログ、このブログ。
量が一番多いのはtwitterか。

 

どこに行ってもテンションが少しずつ違う。
そしておそらくこのブログのテンションが一番低い。

 

多分『二人称の誰か』にあまり気を使っていないからだろうな、と思うのだが
それって気遣いがテンションとなって現れるということなのだろうか。
たしかに「フレンドリーに」「楽しそうに」「ほがらかに」「明るく」
どれもテンションを要する。
考えてみたらあたりまえのことか。

 

たまにそのチューニングを誤りおかしな人になる。twitterが顕著。
ちなみに常にそうできているわけではない。テンションが低い時はある。

 

そう考えるとこのブログのテンションが一番素の自分に近いのか、
とも思ったが必ずしもそういうわけではない。
好きな人たちといる時は大概素だが、
誰かといる時はそこそこテンションは高い。

 

ただ、一人でいる時の自分には近いかもしれない。
そうだ。二人称の誰かがいないということは限りなく一人に近いのだ。
それでもぽつぽつ読んでくださる方がいるので、嬉しい。
すみっこの独り言ですみません。

 

テンションが低い文章を書くのは好きだ。
もしかしたら二人称の誰かに気を使わない文章という意味では
お話を書く時と同じなのかもしれない。
『好きに書く』ということはそういうことか。

 

念のため言っておくとコミュニケーションとしての文章も好きだし
寂しがりやの私には絶対に必要なものだ。

 

でもそことは別に
校舎の裏にあるひっそりとした裏庭の片隅みたいな
あるいはたった一人の東京散歩のような
過剰な感嘆符も顔文字も草はやすのも
必要のないこのブログが好きだ。

端っこで必要なため息を吐くことができる。