october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

100年俳句計画 2022.01①

先週の金曜日、濃厚接触8日目にて娘に39.5の発熱。一瞬ピンチか!?と思ったが、症状から考えて、おそらく約65日ぶりのPFAPA症候群の発熱発作。夕食後にプレドニゾロン服用したところ、1時間ほどでするすると解熱して平熱に。そして土曜日(9日目)、日曜日(10日目)は終日平熱。一応、抗原テストキットで試したところ陰性だったので、まあ大丈夫じゃないかな。でも万が一を考えて、健康観察期間が解けても保育園に行くのはしばらく控える。なお本人は(両親ともどもちやほやしてくれて、おうどんをアーンしてもらえて、居間にお布団を敷いてもらえて、そこでずっとゴロゴロしながらゼリーを食べたりYoutube見たりできる)お熱が半日で下がってちょっと不満げ。

今日は久しぶりに朝一緒に少しだけ散歩した。お日さまはあたたかく北風がきっついザ・東京の冬。保育園の前を通ると唯一健康観察期間が開けた(のであろう)赤ちゃんクラスだけ登園を開始していた。ガラガラの園庭をよちよちキッズが我が物顔で走り回っていて可愛かった。

 

Kindle Unlimited

過去のも含めてKindle Unlimitedに入ってた。遡って色々と読めるの嬉しい〜。
第11回100年俳句賞で、子連れ句会でご一緒している楠本奇蹄さんが最優秀賞を受賞されたので、そこからいくつか鑑賞を書かせていただきます!(敬称略)

 

第11回百年俳句賞 最優秀賞

「おしやべり」楠本奇蹄

 

沈丁花ひだまりを半分ください

外と内で色がはっきり分かれる沈丁花と「ひだまりの半分」の分量が重なる。沈丁花は控えめな花姿なのに、はっと人を振り向かせるほど強い香があり「半分ください」という、控えめぽいのに強い語調とも合っていて、とても印象的な句だった。

 

ゆく春は畳に肘の痕を残し

どこか懐かしいおばあちゃんちみたいな日本家屋で、畳の上に肘をついて縁側越しに外を見ている子。やがて春が過ぎて、その子は次のステージに行ってしまい、畳には肘の跡だけ残っている。そんな景が浮かびました。春と共に旅立ったその子の肘にも、きっと畳の跡が残っているね。細やかな部分に目を留めて、季節が変わっていく寂しさを描いた句だなと思った。

 

いととんぼ耳鳴りが繋がつて雨

低気圧で頭痛がしたり、耳鳴りがする体質なので、とてもわかる。リーンという高い音にハッとする瞬間、まるでそれが外から糸のように繋がっているような、天気とリンクしている糸が見えるようなイメージがあり、季語のいととんぼと自然に繋がっていく。

 

口描きて焦点あはぬ雪だるま

私は絵が下手くそなので、人の顔を描くといつも「焦点があってないな」と思う。そして、この句を読んで、そう言えば確かに「お絵描きは口を描いた瞬間に初めて顔が顔になる」という事に気づいた(うまい人は違うのかもしれないが)。東京に降る乏しい雪で作る雪だるまは小さく歪で、顔もうまく描けないけれど、それがどこかおかしくて好きだったりする。

 

ファスナーをさぐる枯野が濡れてゐる

この句、雨の枯野の匂いがするようで、寒い中、かじかむ手でファスナーがなかなか上がらないことだとか、実感としてとてもわかると思って、ノートに書き写した。の、だけど、その後鑑賞を書こうとしてノートを開いてもう一度読んだら、なんだか……これは……えっちな句なのでは!?!?と、非常にドキドキしてしまった。冬はファスナーの開閉が命に関わる場合もあり、つまりそれは生命活動の一部だとも言える。枯野が濡れたり、乾いたりするのも、星の鼓動の一部かもしれない。

 

奇蹄さん、本当におめでとうございます!

 

そして、優秀賞からも1句ずつ書かせていただきます。

 

用水のここより暗渠夏の月 「呼んでゐる」大橋弘

個人的に暗渠と言うと渋谷川のイメージが強い。その景に引っ張られて、都心が浮かぶ。真夜中に、誰もいない街中でひっそりと暗渠を覗き込む少年少女。ぽっかりとした暗闇。背後に浮かぶ夏の月がとてもよくて、涼しげで少し不思議な淡い怪談のような、あるいはSFのような印象を受ける。

 

牛乳に戻らぬバターこどもの日 「窓見るやうに」三島ちとせ

不可逆なものと、子供の成長を取り合わせることはどこか切なさを帯びそうなのだけど、牛乳とバターだと、優しさと面白さの方が先にくる。子供を導く大らかな視線が感じられてとても気持ちが良いし、美味しいものが食べられそう。

 

それぞれに臍のふかさや神輿来る 「音は瀧」本野櫻𩵋

臍の深さは命の深さ、不思議さ。そして、それぞれの臍の深さを尊重することは、それぞれの命の個性を尊重することでもある。それとお神輿との取り合わせがものすごく良くて、おめでたさ、活力、明るさ、男女違わずの臍が並ぶ健全な景が、人間賛歌だと感じた。迫力がありつつ、眼差しの真摯さを感じてとても好き。

 

冬蝶や画廊に父を忘れゐる 「溺れておいで」館野まひろ

ふふってなってしまった。画廊で絵を見たイメージが儚い蝶のように浮かんでは消えるのか、それとも冬のお出かけに少しおめかししているのか。とにかくご機嫌で、可愛く、おしゃれで素敵な女の子と、うっかり忘れられた父の景がおかしくて楽しい。父もまた、どこかおぼつかない冬蝶なのかもしれない。

 

秘事のごと無花果を洗ひをり 「逢へば」日向美菜

優しくひっそりと静かに壊さないように丁寧に無花果を洗っている。それだけのことなんだけど、でもその後何が起こるか想像がつくからこそ、その密やかな手付きがとてつもなく淫靡さを秘めているように感じられる。だって、この後はそのまま無花果はぷつっと開かれて食べられる運命なのだ、多分。美味しいよね、無花果

 

 

それぞれの作品集の後にある主催者側のコメント、評もとてもよくって、納得感もあり、発見もあり、なるほどーってなりつつ、うんうんって頷いた。

100年俳句計画一月号、もう少し書きたい句があるので近々②も書きます。

 

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