october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

フェイクスピア/野田地図

久々に出社した。同僚も出ていて、一緒に昼を食べた。その時は楽しく終わったのだけど、なんか最後割と唐突に話を打ち切られた感だけ残っていて、明け方ふと目を冷めました時に、もしかしたら無神経なことを言ってしまったかもしれない、と思い立ってそのまま眠れなくなってしまってこれを書いている。

別れ際は笑顔だったし優しかったし、彼女は大人なので今後それを引きずってどうこう言われたりましてや仕事に影響が出たりということは絶対ない(と信頼している)のだけど、むしろ絶対ないからこそ、ごめん違うんだそうじゃないんだ、と、弁明するチャンスも無いんだなということを今ぼんやり思っている。もちろん弁明したいのは私が心が楽にするためなので、自己満足でしかないのもわかっている。このモヤモヤを抱えつつ、あーって気持ちになりつつ、それを飲み込んでちゃんとしていることが今の私がするべきことなんだろう。勝手に気にし過ぎていて実際は何でもなかったってこともありうるけれど、それはそれ。反省。相手の優しさに甘えず、もう少し丁寧に会話を運びたい。もう良い大人なんだから。そんな決意をしつつ、明けゆく空を見ながら少し酸っぱいデコポンを食べている。

 

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有料配信。

去年六月にチケット取れていたけど、感染が増えていて断念したフェイクスピア。増えていたって言っても、今より全然少なかったけど。

野田地図は、わりといつもモチーフが鍵となるので、前情報を入れないようにして見ているんだけど、今回は珍しくかなり早い時点でわかってしまった。高橋一生のほとばしる命(と汗)の迫力と色気が凄まじく、ずっと唇噛んで見ていた。前田敦子の少年役はとても良かった。橋爪功はeggに引き続き、変わり方が圧巻で役者さんって本当にすごいんだなということを思った。

最後の三十分のシーン、三回くらい見直してしまった。うう、辛い。辛いけど一生覚えている。

公演ホームページの野田秀樹の手書きのメッセージには、以下の表記がある。

このコトバの一群が舞台にのれるような芝居を思いつきたいものだと不謹慎にも思った。隣で悪魔から「人間にはやっていい事とやっちゃあいけない事があると思うけどなぁ…」とアドバイスされた。

これは漠然と感じた。お芝居がダメということではないく、ただとても素朴に「大丈夫なのかな」という疑問が、ほのかによぎったというか。

配信のインタビューの最後で、野田秀樹が「これはYoutubeなんかで、ホラーのような扱いで消費されるような言葉ではない」と言っていて、それにも強く頷いた。

このことについてはそれからずっとぐるぐると考えていて、前から考えていたこともあり、考えをまとめて書きたいのだけど、うまく言葉にならなかったので引き続き考える。いつかちゃんと書きたい。題材との距離感や当事者性は、小説でも俳句でも思うことだ。