october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

にごりえ/樋口一葉

去年、入院手術をしてからちょうど一年経った。歯医者でレントゲンを撮ったら、左の奥歯の下に何かが写り、大きな病院で検査を受けたらおそらく良性の腫瘍だろうということで摘出手術を受けたのだ。

摘出してみないと、それが何だか正確にはわからないと言われていたが、結果は「化骨性繊維種」という下顎の骨種瘤だった。良性のものなんだけど、どうやらたまに大きくなることがあるらしく、そうすると顔の片側が膨らんできて初めて発覚したり、顎の骨に食い込んでいたら、顎の骨を取らないとうまく摘出できないという記事を読んだり、なかなかビビった。たまたま歯医者で見つけてもらえてラッキーだったけど、そうじゃなかったら数年後に顔がいきなり膨らんだり、あるいは、顔の骨を取る大手術をしなきゃいけなかった可能性も(ほんのわずかだけど)ある。この腫瘍じたいがめちゃめちゃ珍しい病気のようなので、そんな頻繁に起こることではないと思うけど。なんてことはなく終わってよかった。

手術の影響で、左下の歯がいっぽんぽっかり抜けていて、本当はブリッジをする予定だったんだけど、コロナの影響でまだできておらず、口の中はまだ若干不便である。

 

オーディブル

 お力は一散に家を出て、行かれる物なら此まゝに唐天竺からてんぢくの果までも行つて仕舞たい、あゝ嫌だ嫌だ嫌だ、何うしたなら人の聲も聞えない物の音もしない、靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない處へ行かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は止められて居るのかしら、これが一生か、一生がこれか、あゝ嫌だ嫌だと道端の立木へ夢中に寄かゝつて暫時そこに立どまれば、渡るにや怕し渡らねばと自分の謳ひし聲を其まゝ何處ともなく響いて來るに、仕方がない矢張り私も丸木橋をば渡らずばなるまい、父さんも踏かへして落てお仕舞なされ、祖父さんも同じ事であつたといふ、何うで幾代もの恨みを背負て出た私なれば爲る丈の事はしなければ死んでも死なれぬのであらう、情ないとても誰れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商賣がらを嫌ふかと一ト口に言はれて仕舞しまう、ゑゝ何うなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう

 

ものすごく良い朗読だった。特にこの引用したお力の心情の吐露の場面がとても耳に心地よくて、虚しく切なかった。あと太吉が可愛い。っていうか、ほんと、源七は。