october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

ぼくは勉強ができない/山田詠美

豊島岡女子学園の「運針」を紹介する記事を読み、ずっとそれが頭に残っていた。毎朝5分、全員で集中して白い布に赤い糸で真っ直ぐ刺繍をする。毎朝繰り返すことで、自分の内面の定点観測となるし、ただ針を刺すことに布に集中することで、心を沈めることもできるらしい。つまりはマインドフルネスということなのだけど、とてもいい。

toyokeizai.net

 

ただ裁縫はまったく出来ないし針も糸もないので、別のことで似たようなことができないかなと考えた。ここ半月ほど試しているのは「5分間だけ好きな小説を書き写す」という、文章複写である。きっかり5分、B6サイズのノートに手書きする。アラームが鳴ったら、書き途中の文を書き終えてその日はおしまい。という、ルーティン。

 

これが割と楽しくて続いている。集中している日と、まったく集中していない日があり、字が乱れる日もあれば一回も間違わない日もある。何より、好きな小説の、読点を打つペースだとか、会話の間の地の文の挟み方だとか、「僕」なのか「ぼく」なのかとか、そうした細々とした部分をゆっくり触れて行けるのが好き。マインドフルネス読書とも言える。

 

最初は毎日違う小説を、毎日違うページをランダムにやろう、と思っていたのだけど「ぼくは勉強ができない」でやり始めたら、面白くて続けたくなってしまったので今は第一話をせっせと毎日少しずつ書き写している。

 

 

再々再々再々読。

 

「でも、おまえ、このままじゃ三流大学しか入れないぜ」

「ぼく大学行かないかもしれないから」

「へっ? またなんで」

「金かかるから」

「おまえんち貧乏なの?」

「そうだよ」

「でも、大学行かないとろくな人間になれないぜ」

「ろくな人間て、おまえみたいな奴のこと?」

「そうまでは言ってないけどさ」

 脇山は、含み笑いをしながら、ぼくを見つめた。嫌な顔だと思った。

「脇山、おまえはすごい人間だ。認めるよ。その成績の良さは尋常ではない」

「……そうか」

「でも、おまえ、女にもてないだろ」

 

大学生の頃に初めて読んだ。

このくだりが痛快で、秀美くんの飄々としていてチャーミングなところが好きで、当時付き合っていた男の子にこの話をしたら「でも、高校時代のぼくはそれを言われる側だったから」と言って暗い顔をさせてしまった。これは別に「モテと勉強どっちがいいか」という単純で品のない比較ではないのだが、上手く伝わらなかった。

 

とはいえ、今読むと、うーむ今だとこれは軋むことがあるかもしれない、という表現や展開は少しずつあって、そしてそれは良し悪しではなく、感性のエッジが鋭い作品にとっては、逃れられない運命なのだろうと思う。それも噛み締めつつ味わう。1993年は30年も前なのだな。

 

しばらくブログをサボっていたせいで、感想を書けていない本が色々あるので、思い出しつつ、また細々と綴っていきたい。