october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

生きるとか死ぬとか父親とか/ジェーン・スー

今年に入ってからほぼ毎日俳句を作っていて、それももう特に何も気負うことなく、気合い入れることもなく、さらっとメモ帳開いてとりあえずぽちぽちするだけという軽いものなのだけど、暇な時間に推敲を重ねているとけっこう楽しくなってきてしまって、けっこうたくさん句ができた。隙間時間は俳句を作るか、ロイヤルマッチをしているかのどちらかで、ロイヤルマッチをやめたらもっと句ができるのではとも思うんだけど、あの無であるような無でないような余白な時間も自分には必要なのかもしれない、とかよくわからないことを思いながら結局ロイマもやめられずにいる。

 

今年は自分軸手帳を使っていて、うまく使えているかはさておきウィークリーの頭のところに毎日俳句を書き込んでいて、それがけっこう気に入っている。見返すと割と楽しい。俳句も手帳も、この、見返すと楽しいというくらいの塩梅がちょうどいいのだと思う。

 

5日 ミニカバの赤ちゃんぷるん米こぼす

10日 串カツに円と球体ニット帽

15日 ばらばらと飴落としたる枯野かな

27日 行列の二度折り返し日脚伸ぶ

 

5日のは新年詠に出したやつで、ニフレルで見たミニカバの赤ちゃん。15日のは、朝、大きな公園をウォーキングしてたら大量にグミを落としながら走っていく女の子がいたので。つまりほぼ日記。

 

 

完璧な家族なんていない。どんな家族でも歪なところがある、とover the sunで語るスーさんの言葉が好き。切実で切ないけど、どうにもならないことが、明るかったりもする。over the sun 渋公2デイズは1日目だけチケットが当たったのでママ友と行ってきた。最高だった。今は2日目を配信で家事中に途切れ途切れ見てる。あの、夢の中の対決シーンが好きすぎる。笑