october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

小説が書けない日々とベランダガーデニングのこと

コロナ禍で自粛生活を続けている。うちは私・夫共に2月後半からずっと在宅勤務、子は3月末からずっと保育園休園、住まいは狭いマンション2LDK、お出かけは基本的に散歩、スーパー、小児科、そして(最近は)徒歩20分の場所にある私の実家。四六時中、家族と一緒。まぁ、仕方ないことだが一人の時間は霧散した。子を見ながらの仕事は大変とか言うレベルではないし、公園も行けないので子もストレスを溜めている。毎日三食作るのもつらいし(なので昼はあんまり作ってない)、お出かけできないのは大人も辛い。だが、何より辛いのは小説が書けないことだ。

元々私は家では集中して小説を書けないタイプで、今までは休日の午前中や仕事のランチタイムにカフェやファミレスで書いていた。今はどちらもできない。そもそも子が起きている間は無理だ。仕事中でさえ膝に乗ってくるのだ。別室にコソコソ篭っても「消防官ごっこしよーー!!!」と10分に一回はドカーンと登場する。以前ならど修羅場の日は夫が外に遊びに連れ出してくれたが、それももちろんままならない。だが、夜は疲れ果てて絶対に書けないので(これは昔から)、朝活を何度か試したが、三歳児は母ラブモードがMAXで、私が4時にこっそり起きても何故か目を覚まして追ってくる。もしくは行かないでとすがり付いてくる。昼寝は、基本してくれない。

去年、これから3年間は、1年間で3本、(できれば)長編小説を、何かしらの賞に投稿するという目標を立てた。だけど去年は結局長編1本、短編1本、あとは公募ガイドに送った掌編4本で終わってしまった。長編は新作ではなくて以前の改稿。新作長編はポプラに出そうとしたやつが、締め切り直前で子が発熱して出せず、お蔵入りした。去年は二次創作にもまだまだ時間を割いていた。今年の2月に出した本で二次創作はひとくぎり、これから一次頑張るぞ~~と思っていた矢先にコロナデイズである。全然書けていない。ビックリするほど書けていない。めちゃめちゃ焦っているし、何もできない自分�� �苛立っている。そして卵詰まりで死にそう。

一方で、外出がままならないストレスと外の空気の渇望は、全てベランダガーデニングに向かっている。3月に花鉢とハーブ苗を買ってから歯止めが利かなくなり、殺風景だったベランダは一気に緑で溢れた。最初に買ったのは通販の鉢植えのブーゲンビリア。南国への憧憬を篭めて。それから、近所のスーパーでシソ、バジル。それからはイングリッシュペパーミント、ローズマリー、レモンタイム、グロッソラベンダー、カモミール、マトリカリア、イタリアンパセリパクチー、ディル、チャービル、ボリジ、スープセロリ、ホーリーバジル、ルッコラにリーフレタスも……と、ハーブに野菜がどんどん増えた。お花も欲しいよねと思って、パルシステムで見かけたポーチュラカ(京ちゅらか)の苗や、お散歩コースにある園芸屋さんで買ったペチュニア、サニフィア、ミリオンベル。それからのレモンの木、オリーブの木、ギンヨウアカシア、プチトマトとナスタチウムとバジルの混植(最近ニラも加わった)、それからどうしてもやってみたくてグリーンカーテン(ゴーヤ、風船かずら、パッションフルーツ)まで。薔薇も欲しいよ~~と思って、ミニバラのグリーンアイス。日当たりが足りない!なら日陰で育つ子はどうかな、と茗荷に三つ葉。今こうして書き出しただけでもちょっと自分で引いた。これが狭いマンションのベランダに並ぶのだから完全に密である。そしてこの時期植物を密で育てるとどうなるのか……??風通しが悪くなり、アブラムシが発生する。最初は手袋を嵌めて泣く泣く歯ブラシやマステでやっつけてたが、最近は素手でビーッ、ジャー!!(水)だ。ほかにもレモンの木にはアゲハチョウの幼虫がいたし、アカシアにはキアゲハの幼虫がいたし、蜂もよく来る。キノコバエも湧く。ベランダでも、こんな色々出るとは思っていなかったよね。虫に少し強くなった気がする。流石にあおむし素手では触らないけども。

トケイソウパッションフルーツ)の花と、日陰の茗荷さんたち。


日差しを取り合う鉢たち。


ハンギングするとよく日に当たる。

ベランダは南向きだから日当たりいいと思っていたけど、実際に鉢を並べてみるとそうでもない。ベランダにも屋根があるし、今の時期は太陽の位置が高く、縦に差し込むので日の当たるスペースと言う意味では、かなり少ないのだ。なので、鉢をあっちに置いたりこっちに置いたり、ハンギングにしてみたり、台を高くしてみたり、と試行錯誤中。それでもスペースはかなり足りず、野菜栽培は牛乳パックプランターで少量で始めてみた。ああ、ルーフバルコニーのある家に住みたいよーと空き時間に物件検索して妄想したりもする。妄想はタダなので。

リビングの窓の外に緑が見えるのはとても気持ちが良い。通勤がない分、朝に余裕があるので水をやり忘れることもなく、子もプチトマトを収穫したり、ハーブを摘んだり、水をやったりと一緒に楽しんでいる。ハーブは買うと高かったり使い切れなかったりするけど、ベランダにあれば欲しい分だけちょっと使えるので、毎日の食卓も豊かになった。パクチー大好きマンとしては食べ放題なのが嬉しい。親子丼には三つ葉を乗っけるし、大葉も使い切らなきゃ!と思うことなく使いたいだけ使える。チーズトーストにはバジル、ピザにはバジルとオレガノを振り掛ける。ジャガイモをローズマリーとオリーブオイルで揚げ焼きにする。レタスだけのサラダにパクチーと柔らかいバジルやミントやチャービルを少し乗せるだけでハーブサラダになるのもまたよし。ナスタチウムのお花を乗っければ見た目もめちゃめちゃおしゃれになる!

ベランダで採れたものオンリー!

うん。自分でも気付いているけど、小説書くのに使ってた情熱が、ベランダガーデニングに吸われている。とても楽しい。もはや、新ジャンル:ベランダガーデニングって感じ。寝ても覚めても植物のことを考えている。あれとあれの配置を変えようか、棚を買おうかな、ホーリーバジルではやくガパオライス作りたいな、レモンの木の足元に夏の花を植えようかな……。Kindle unlimitedで、家庭菜園、ハーブ、ベランダガーデニング、バラなどの本を多分20冊以上読んだ。もう完全に嵌っている。ツイートだって、ガーデニングのことばっかだ。

そして、それは全然悪いことじゃないとわかっているのに、誰かに対して「ちがうんです、そうじゃないんです、ちゃんと書きたいとも思ってるんですよ、本当ですよ」って言い訳したくなる、後ろめたさを馬鹿みたいに抱えてる。この誰かっていうのは、多分小説を書きたい自分の気持ちだし、あるいは、字書きとしてのアイデンティティを失いたくない自分だし、本当だったら生まれていたはずの(と勝手に思ってしまう)物語たちだ。書きたいのに書かない自分の存在が苦しい。勝手に苦しんでろよって思うけど、苦しいもんは苦しい。もうこうなったらベランダガーデニングの小説でも書くかなアハハと思っていたら、話が一つ思い浮かんだので、これはこれで書こうと思うけれども。創作以外の日常が楽しくなってきて、創作を忘れてしまったらどうしようって焦る。書きたい気持ちはまだまだ燻っているけど、これがあと半年、一年と続いたら、まあ別にいっかとなってしまうのかなとか。書くための筋肉が失われていくような気持ち。そうなることがすごい怖くて、すがるような気持ちで公募ガイドを読んでモチベーションを上げようと試みる。長編を書くのは今は無理だろうから、短編で。6月20日締め切りのオール讀物に出してみようかな、と思い立ち、何とか1時間捻出してみたけど、筋肉が衰えているから全然集中できなくて、2000字も書けない。あー、もうこれはダメなのでは。と、弱音と共に溜息を吐く。

これも多分、大袈裟に言ってる。まあ、きっと大丈夫だよ、ってのはわかってる。前も似たようなことがあった。産後、半年くらいの時が同じ感じだった。あの時は、毎週土曜日の午前中に授乳タイミングの間で一人時間を貰って、パソコン持ってミスドに走った。そのちまちました時間で書き続けたワンライの短編(二次創作)たちは、その半年後に同人イベント復帰する時に、短編集として新刊になった。あの時みたいに、自分のペースで、自分のやり方で、自分で書く体制を整えたい。自分で、立ち上がらないとなって思う。だけど、どこから組み立てればいいのか。

近所のドトールは営業している。だけどわざわざ不要不急に密に加担するのはよくないだろうし、自粛に慣れてしまった身では行く気にはなれない。もちろん経済は心配だが、すぐにやって来そうな第二波も怖く、出来るだけ家にいたいし、いれるならその方がいいだろう。家から出ないで仕事をし、通販でお金を使い、生協で食材を調達し、そうやって回していく日々の中で、集中して小説を継続的に書く体制を作りたい。なかなか道筋は見えてこないけど、今の自分の気持ちを整理する為にこのnoteを書いてみたのであった。(新ジャンルに嵌りたてだけど旧ジャンルにも未練がある早口オタクみたいな文章になりました)