october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

安野モヨコ展ANNORMAL

少し前、一人で世田谷文学館で開催中の安野モヨコ展に行ってきた。平日に休みを取り、最も電車が混まない時間帯およびルートを見計らい、時間指定前売り券で、最も人がいないだろう時間を狙う。もちろん文学館はマスク必須、そしてエントランスでは消毒&検温。

画像1

会場内で、他のお客さんは二人しか見かけなかった。それぞれ単独で、黙々と鑑賞&撮影を繰り返していた。どれだけじーっと一枚の原画を見つめても、一箇所に止まっても大丈夫というのは新鮮な体験。平常時だったらすごい混んでただろうに、と思った。

画像2

会場は全部写真OK、SNSアップOK。
それもあってTwitterでも何度もレポを見かけた。

展示は漫画やカラー原稿の原画はもちろん、大掛かりなパネルや演出がたくさんあってとても楽しい。

 

ハッピーマニア

画像3

 

さくらん

画像4

 

働きマン

画像5

 

オチビさん

画像6

 

鼻下長紳士回顧録

画像7

 

美人画

画像8

いやーもう本当に何もかもが眼福。展示もかっこよくてテンション上がるし生原稿も本当に素晴らしい。

ハッピーマニアとかジェリービーンズとか脂肪と言う名の服を着てとか美人画報とか、丁度20代前半くらいに読んでいたこともあって、安野モヨコはただ作品が好き!以上に人となりにも影響を受けている著者の一人だと思う。そのパワフルさも、おしゃれでダイナミックでえっちな絵も、大胆な画面作りも、時にえげつないほどの欲望の表現も、率直さも、緩急も、会話のテンポも、シンプルなのに確信を付く言葉も、もー何もかも全部好きだった。もちろん今でも全部好き。未だに忘れられないシーンや台詞が本当に多くって、もちろん他にもそう言う漫画はあるけども、ただ一人の作者で何作品分もそれが思い浮かぶっていうのは、私の中では安野モヨコ or 手塚治みたいな話になっている。

私はもうとにかくモヨコ先生が描く「ときめき」の描写が大好きで、これは恋愛のときめきなどももちろんあるけど、それ以上に、マメの洋服作りへの創作意欲が炸裂する妄想シーンだとか、モモが新宿でお買い物に行くシーンのときめきだとか、ミリちゃんがおうち改造で感じるときめきだとか、美人画報のごはんだとか美容だとかの表現だとか、ありとあらゆる日常に散らばっているときめき……が最大限に表現されるのに浸るのがすきなんだなぁと思う。

そしてばっさり、ツボを付く言葉。演出。綺麗なだけじゃないところも、人間のどうしようもないところも、同じペン圧で、もうそのパンチ力がすごいのだ。ノックアウト。そしてパワーワード。どこをどう切っても、弱さですら、強!!!!って感じ。好き!!!

一番好きな作品をあるいは女子キャラを選べと言われるとめっちゃ難しい。シゲタもフクちゃんもマメもモモちゃんも松方弘子もみんな好き。男子キャラはずば抜けて蘭堂が好き。

画像11

最初に安野作品で鳥肌が立ったのは、ハッピーマニアのラストシーンだと思う。ハッピーマニアなのに、ようやくようやく辿り着いたタカハシとの結婚というハッピーエンドなのに、そう終わるんだ?というゾワッと感。それがビックリするほど気持ちよかったのは、それこそがこの漫画の主題であることが、全身全霊で「わかった」瞬間だったからだと思う。

今でもお話を書こうと妄想を広げる瞬間に思い出すのは、上にも上げたマメがイマジネーションを膨らませるシーン。ジェリービーンズは、高校時代の話も、専門〜パリ留学の話も全部大好きだ。ときめきと夢と欲望が詰まってる。パリでマメが「あの美味しそうなケーキ、夕飯にしちゃおうかな〜」って言ってるとこが好きすぎて、一人暮らし始めた時にケーキを夕飯にしたりした。

最初の会社で、仕事が一番辛かった頃は「働きマン」にめちゃめちゃ元気を貰った。自分には理解ができない、理解したくもない相手にだって色んな事情や見方があるんだということを、こんなに丁寧に書かれてはっと目が覚める想いがしたし、やっぱり、それでも前を向けない仕事は自分には合わないと強く思ったのは、転職活動のきっかけにもなった。

画像9

この第一話の弘子の締めの台詞が、本当に本当に響いた。

ご本人も働きマンだ!と公言していたモヨコ先生が、十年くらい前から体調を崩しているのはもちろん知っていた。でもそれが鬱だったというのは、今回の展示会ではじめて知った。更に90年代後半には最初の鬱の診断を受けていたということも。

復帰作でもある鼻下長紳士回顧録は、第一話しか読んでいなかったので売店で買った。もちろん図録も。庵野監督のインタビューがとても良かった。黄泉夜間は断片的にしか読んでいなかったのが、図録に全編収められていた。まとめて読めてよかった。

画像10

光が強ければ強いほど、影も濃い。また光が広範囲を照らせば照らすほど、色んなところで影ができてしまうものなのかもしれない。当時から、安野モヨコは自分の悩みや弱さを隠さなかった。すごい大人気作家でありながら、何となく親近感が沸くというか、身近で、欲望も失敗も弱点も包み隠さないパワフルなアネキ!!的な感覚。特に私の同世代はそう感じている人も多いんじゃないか。それが大好きなところなんだけど、そんな親しみやすさがあるからこそ、無礼なことを言っちゃう人もまた多かったのかもしれない。

どんなに親近感覚えたって、作者と読者の距離はめちゃめちゃ遠い。なのに(色んな皮をかぶった)悪意は性質的に届きやすい、残りやすいというのも難儀だ。でも、私のようなただの一読者が救いになるような何かをできるわけでもない。中傷から守ることもできない。賢しら顔でそういうもんだよとか、有名税だとか何とかいう人は、この期に及んでまだ居るけれど、率直にそういうのは嫌いだしダサい。でもじゃあ何ができるというのだ。受け取ったたくさんの元気を抱えながら、それを生きるパワーに変えていくこと?そんなこと、今までずっとけっこうして来たけど……それは私が先生に感謝するだけのことであって、何かをしている気持ちになるのも烏滸がましいのでは!?

等々。世田谷の緑いっぱいの道をマスクで歩きながら、そんなことを悶々と考えた帰り道であった。

今は会場で買った「くいいじ」を読んでいるので、読み終わったらまたなんか書く。お腹すいた。