october notes

俳句と小説と読書と記録と記憶

エゴイスト/高山真

今年は今までやろうやろうと思っていたのにできなかったことにじゃんじゃん手をつけていて、そのうちの一つがペーパードライバー講習である。実は伏せっていた日が最終日だったので、それだけ取り直さないといけないんだけど、とにかく20年以上眠っていた私のゴールド免許が息を吹き返しつつあるのだ。そこそこお金払ったから、再び眠らせるわけには行かないのでここからなんとか運転習慣を付けないといけない。まだ少し怖い気持ちはあるが、まあまあ楽しい。

免許を取った時は高速教習はシュミレーターだったので、今回のPD講習では高速にも乗ったんだけど、なんか、あれね、高速道路って人は歩いてないし、自転車も走ってないし最高だね。

 

話は変わるけど、体調は回復したのだけど声を失ってしまった。こうなると三日は喋れない。早く戻ってほしい😭

Audible

ラブピースクラブで高山真さんが書いていた恋愛コラムが大好きで、最初の本の刊行イベントにも行ってサイン貰って大好きですって言ったらハグしてくださってとっても素敵な方だったな〜というのが大学生の頃の思い出話。それから仕事やオタク活動が忙しくなって一時期は読書もあまりしてなくて、すっかり追わなくなっていた。最近、ふとタイムラインにまわってきたRTで、この小説のこと、映画化のこと、そして高山さんの訃報を知った。

最初から完璧な関係なんて、母子でも、父子でも、恋人同士でもありえない。誰かを大切に想うことも、愛することも、幸せを祈ることさえも、自分という主体がいる以上、そこに一ミリもエゴを混ぜずに行うということはできない。だから自分<エゴ>も織り交ぜて、愛して、受け止めて、手を伸ばして、抱きしめて、傷つけて、傷つけられて、少しずつ力の加減を覚えながら、近しい人間関係は、失敗しながらなんとか、なんとか繋いでいくしかないんだと思う。だけど、うまく噛み合わなくて崩れていってしまうものや、ボタンの掛け違えで失ってしまうものや、取り返しのつかなくなることは、びっくりするほどたくさんあって。そんな時に、その愛に微細に含まれる自分のエゴを責めるのはきっと辛いけど、簡単なことでもあり、よくあることなんだとも思う。そんなものを相手が求めているわけでもないのだ、と信じることができた時に、また一つ足を前に進めることができるのかもしれない。

とにかく苦しい。だけど美しくて愛おしい。恋愛の枠に収まらなくて、過去と今の枠すら超えた、大きな愛のお話だった。どうか高山さんが愛しい人たちと再開して、美味しいものを食べていますように。